四月は君の嘘
「四月は君の嘘」は、2012年に第1冊が発行された音楽漫画です。
全11巻の音楽漫画で、映画化もされています。内容は悲しいストーリーなのですが、登場人物の宮園かをりのセリフが好きで、ヴァイオリンを弾く上で参考になるなぁと思います。
コンクールで宮園かをりが、母の死をきっかけにピアノが弾けなくなった元天才少年の有馬公生を伴奏者としてステージに引っ張って行くシーンがあります。
伴奏を辞退しようとする有馬公生に、宮園かをりが言ったセリフです。
大丈夫。君ならできるよ。
ずっと昼休み聴いていたでしょ。譜面はいつも目に入る所にあったでしょ。
私達ならできる。
モーツァルトが空から言ってるよ。
「旅に出ろ」って。
旅の恥をかきすて
おもいっきり恥をかこうよ。
(四月は君の嘘 第2巻 より)
勇気づけられるセリフだなぁと思います。
演奏する時は、間違えないようにとか、伴奏とずれないようにとか、考えすぎてしまうことがあります。
勿論それは大事なことですが、その考えに囚われすぎると、結果として”守りの演奏”になり、詰まらない音楽になってしまう。
ミスなく弾けたとしても、上部だけの演奏って印象に残らないことが多いですね。
僕は、2014年ソチオリンピックの女子フィギュアのフリースケーティングでの浅田真央選手の演技が忘れられません。
ショートプログラムで16位となってしまい、メダルは絶望的な状況で、浅田真央選手は、フリースケーティングに挑みました。
日本中から金メダルが期待される中で、ショートプログラムがうまくいかず、フリースケーティングを滑る時の浅田選手の精神状態は極限まで追い詰められていたと思います。
しかし、フリーで浅田選手は自分のスケート集中して、伸びやかに演技をしました。
スケーティングの始まりから終わりまで、彼女という人間の強さを感じる演技でした。
浅田選手の滑りは、この時守った滑りではなく、必死の滑りだっとと思います。
演技直後の浅田選手の表情は、彼女の演技の全てを物語るもので、心が震える演技でした。
本当に素晴らしい演技で、今でも一年に何回かみてしまいます。
演奏も、演技も、仕事でのプレゼンテーションも、試験も、必死に準備しても恥かくことはあります。
でも一人でも真剣に聞いてくれる人がいるなら、恥かくこともあったとしてもそれを成長と考えて、挑みたいですね。
何事も次に繋がりますから。
ヴァイオリンは、色々な事を教えてくれますね。
長い旅 <ヴァイオリンの輸入>
オークションで購入したヴァイオリンが、ロンドンから届きました。
出荷されてから到着まで1週間ほどでしたが、ヴァイオリンにとっては長い旅です。
今回は、Fedexを利用して郵送してもらいました。
11月26日 月曜日 ロンドン出発
11月27日 火曜日 イギリス通関処理
11月28日 水曜日 イギリス通関処理
11月29日 木曜日 パリ(経由地)到着
11月30日 金曜日 パリ出発→中国広州(経由地)到着
11月31日 土曜日 中国広州
12月1日 日曜日 中国広州出発→成田着
12月2日 月曜日 成田→東京税関→自宅到着
当初は、11月29日木曜日到着予定とのことだったので安心していたのですが、甘かったです。結局1週間かかりました。
実は、前に修理のためヴァイオリンを日本からイタリアに送ったことがあります。この時は地獄でした。出荷から先方の受け取りまで、3週間かかりました。
この時は、8月の真夏に送付しました。修理のための郵送だったので、修理のための申告書を日本の輸出及びイタリアの輸入でそれぞれ添付して郵送しなければならなかったのに、それを知らなかったので添付せずに郵送したら、イタリアの税関に止められました。
イタリア税関は処理が遅く検査も厳しいことで有名です。しかしその時は、イタリア税関が厳しいことも知らなかったので、何もかも甘かったです。
事前調査を怠ったため、2週間ぐらいイタリア税関に止められて、待っている間苦しかったです。受取人に頑張って頂き、何とか事なきを得たのですが、夏場にヴァイオリンはどうなっているんだろう、と心配だったの覚えています...。結局ヴァイオリンは無事だったのですが。
この件以来、僕は税関恐怖症になったので、今回は送ってもらう前から入念に確認しました。
今回は輸入手続を、東京税関とFedexJAPANに電話して確認しました。
ヴァイオリンの場合、輸入の際、関税は0ですが、購入価格に対して消費税(8%)を納付しなければならないとのことでした。
自己使用目的の輸入の場合は、「購入価格×6割×8%」で商用目的の輸入の場合よりも軽減されるとのことでした。
最近はワシントン条約が厳しくなっていて、ローズウッド等規制されている物品が含まれている場合、事前に手続をしていないと輸入できなくなってしまうので気をつけてください、と言われました。
ローズウッドは、ヴァイオリンのペグやテールピースに使われてあることがあるので、要注意ですね。
これらを事前確認しておいたので、日本の税関はすんなり通してくれました。
今回は送り主がプロで、僕は日本で輸入する側だったので、税関で困ることはなかったです。
実のところ、受け手の国のルールがあるので、輸出の方が大変だと思います。
高価な物品の輸出を、素人がやるものじゃないとは思いますが、何事も勉強ですね。
ヴァイオリンは、駒と魂柱を立てたまま郵送すると危険なので、郵送の際は、取り外す必要があります。
また長い旅をして、その間気温変化にさらされて、疲れているので、着いたら1週間程度は、セットアップせずに置いておくのがよい、とのことです。
何はともあれ、今回無事に届いてよかったです。
長い旅お疲れ様でした。
暫くお休み下さい。
ヒラリー・ハーン
2018年12月3日(月)にコンサートに行きました。
ヒラリー・ハーン Hilary Hahn
バッハ無伴奏を弾く
東京オペラシティ コンサートホール
久々のヒラリー・ハーンの来日コンサートで、とても楽しみにしていました。
<曲目 前半>
<曲目 後半>
ヒラリー・ハーンの演奏を生で聴くと、ここまでブリリアントに重音を響かせるヴァイオリニストはいたかなぁ、と思ってしまいます。
ソナタ1番のフーガ アレグロ(Fuga Allegro)を弾いている時は、まるでヴァイオリン4つ使用して弾いているように聴こえました。
実は2年前のヒラリー・ハーンのヴァイオリン・リサイタルを聴きに行ったのですが、今回はその時とある変化を感じました。
2年前の演奏会よりも、低弦のG線、D線がとても暖かく聴こえたんです。
聴く環境の違いなのか、彼女の内面の変化なのか、楽器の調整なのか、理由は僕にはわからないのですが、とにかく低弦が凄く暖かったです。
表現が難しいのですが、低弦が慈愛に満ちた響きといいましょうか...。心にダイレクトに響いてくる音でした。
プログラム後半のパルティータ第2番の第4楽章のジガ(Giga)を聴いていたら、気が付いたら泣いてました(隣の人、1例前の人も泣いてました...)。
演奏会に行って泣くことは滅多にないのですが、今日は自然と泣いていました。
第5楽章のチャッコーナ(Chiaconna)、アンコールのソナタ第2番のアンダンテ(Andante)まで、泣きが止まらず....。
一挺のヴァイオリンでこのプログラムを弾いてしまう精神力と技術力は本当に凄いなぁと思いますが、今日は何よりヒラリー・ハーンの音楽に感激しました。
今日はもぅなにも音楽を聴かずに、このまま寝ようと思います。
コンサートの余韻を残したまま.....。
RED LEAVES
11月の終わりは、木の葉が紅く染まりますね。
紅葉は、秋の終わりという感じがして、趣があります。
近くの公園の写真です。
ヴァイオリンの表面の色を思い出します。
ヴァイオリンのニスの色は、赤、黄色、茶系やオレンジですが、言葉では表現できないぐらい多彩です。その色は、ヴァイオリンの外観を見るときの楽しみの一つですね。
しかし、ヴァイオリンの表面のオリジナルニスは保存が難しく、オールドヴァイオリンのニスは、楽器を復元及び保護するため、リタッチされているものが殆どだそうです。
ヴァイオリンのニスは敏感で、長期間ケースに閉まったままにしておくのはよくないと、ある楽器屋さんに聞きました。ヴァイオリンの木は空気に触れて呼吸するので、弾かない場合でも、時々ケースの外に出して、様子を見た方がよいそうです。
楽器屋さんに行くと、ヴァイオリンを吊るしているのは、空気で呼吸させる意味もあるそうです。
特に高温多湿な環境は、ニスが敏感に反応して、ヒビ割れたりしてしまうこともあるので、要注意ですね。
僕がアシュモリアン博物館でみた、ストラディバリウス1716年製のメシアのニスは、溜息が出るぐらい美しかったです。ヴァイオリンがミステリアスに輝いていました。
世界中の人を魅了する魔力は、このミステリアスな赤色にありますね。300年間この輝きを保っていることは奇跡です。
一人の製作家でも、製作するヴァイオリンによって、ニスの色が変わります。
以前あるヴァイオリン製作家に、「黄色と赤のニスを選ぶ基準は何ですか?」と聞いたことがあります。
「木及び製作する過程で、それにあったニスの色と質感を考えて選択する。」
と回答でした。
木と会話して、ニスを塗る。
製作家は凄い仕事ですね。
自然と音楽
音楽を聴くのは好きで、POPS、JAZZ、ROCK、クラシック音楽とジャンル問わず聴きます。
しかし、僕はヴァイオリンを弾くので、クラシック音楽は特に好きですね。クラシック音楽は、古い時代になるほど、自然の音に近づいていくような気がして、自分のバイオリズムに合う気がします。
ヴァイオリンは、あごで挟んで構えて弾くので、首の部分が楽器と接することになります。
「ヴァイオリンのエンドピンをのどに当てて構えて、振動を体で感じて弾きましょう。」
と先生に教えて頂いたことがあります。
楽器の音の振動が、のどから体に全体に伝わってきて、音楽を体で感じることができます。思えばヴァイオリンは、色々な楽器の中でも頭の近くに構える楽器ですね。
ヴァイオリンの木の箱で鳴ったいい音が、体に伝わると体も元気になる気がします。
仕事の疲れも、ヴァイオリンの音が癒してくれる時があります。
先日、那須の「水庭」に行ってきました。
建築家の石上純也さんが設計した庭園です。
「水庭」を歩いていると、風と水の音が聴こえて、心地よく散策できました。
ヴァイオリンのような楽器を誰が最初に考えたのかは、実のところ不明らしいです。
一体どんなインスピレーションを受けて、作られたんでしょうね。
自然と音楽は、どれだけ近いんだろう?
「水庭」を歩いた時、考えてしまいました......。
ヴァイオリンはどこへ?
ヴァイオリンは、誰に買われ、どこへ行くのでしょうか?
ヴァイオリンの行き先は、経済情勢が、影響すると考えています。
17世紀~18世紀半ば、イタリアのクレモナを中心にヴァイオリンが制作されていた頃、ヴェネツィアやフィレンツェの経済の栄光の時代は既に過ぎ去っていました。この頃、新たな航海ルートを発見した、オランダ・スペイン・ポルトガルが経済力をつけていました。
ニコロ・アマティ、ストラディバリの顧客には、ヨーロッパの貴族や王族も多くいたようです。
しかし、まだこの頃は、ヴァイオリンの価値は、多くの人には知られていませんでした。コレクターもいましたが、まだまだ限られていたと思われます。
ストラディバリの死後の1760年あたりから、Giovanni Battista Viotti(ヴィオッティ 1755年~1824年)などストラディバリウスを持つヴァイオリニストがパリに出かけるようになりました。
パリの人たちは、ヴィオッティの弾くストラディバリウスの音に魅了され、ヴァイオリンの力を認識するようになります。
ヴィオッティは、フランスで、Pierre Rode(ピエール・ロード 1744年~1830年)やPierre Baillot(ピエール・バイヨ 1771年~1842年)といった素晴らしい弟子も育て、その弟子達もストラディバリウスで演奏しました。
19世紀になると、フランスには、Jean-Baptiste Vuillaume (ジョン・バティスタ・ヴィヨーム1798年-1875年)という楽器製作家が、ディーラーとして成功をおさめます。フランスの大楽器商となったヴィヨームの元に、クレモナの名器が沢山集まってきました。
同じく19世紀、産業革命で経済力をつけてきたイギリスは、その経済力と交渉力で世界中から美術品を収集しました。19世紀の終わり頃になると、ヒル商会(W.E.Hill&Sons)が1880年に設立、ベア商会(John&Arthur Beare)が1897年に設立され、イギリスの大楽器商及び鑑定家として、クレモナの名器が集まってきました。
大楽器商の登場で、ストラディバリウスをはじめとするクレモナの名器が鑑定され、活発に取引されるようになってきたんですね。
その後、イギリスの楽器商、オークションハウスを中心にクレモナの名器は取引されてきました。
時を経て、
20世紀後半、日本が高度経済成長を経て、購買力をつけてきました。イギリスのオークションハウスにも日本のディーラーが登場し、度々クレモナの名器を最高額で落札していったそうです。ヴァイオリン・コレクターとして有名なのは、日本音楽財団ですね。日本音楽財団は、現在ストラディヴァリとグァルネリによって製作された弦楽器を21挺を保有しています。
1980年代以降、日本には沢山クレモナの名器が集まってきたとされています。日本にストラディバリウスは何挺あるんでしょうね....。
現在、一体どこにヴァイオリンは向かっているのでしょうか?
2000年以降、中国がGDP世界第2位になり、中国、台湾が購買力をつけてきました。オールドヴァイオリンのみならず、モダン・イタリーの名器もアジアに沢山集まっているようです。有名なコレクターは、台湾の奇美博物館でしょうか。オークションの履歴をみていると、度々バイヤーとして登場します。奇美博物館では、沢山の名器の展示がみれるそうです。
日本人が買えない価格でも、中国、台湾のバイヤーは買っていくという話を楽器店で聞いたことがあります。
アジアマネーがヴァイオリンに投入されて、ヴァイオリン価格はこの40年で高騰しています。最たる例が、2011年ストラディバリウスの1721年製レディ・ブラントが、1418万ドル(12憶円)で落札されたことでしょうか。
しかし、レディ・ブラントは2018年現在7年前の話です。現在では相対取引で、もっと高く取引されているかもしれません...。
<写真は、1721年製ストラディヴァリウス レディ・ブラント>
名器たちは今後どこへ行くのでしょうか....。
製作家の生涯
こんにちは、HYTSです。
素晴らしいヴァイオリンを目にすると、そのヴァイオリンをもっと知りたくなります。
そして、ヴァイオリンをより深く知りたいと思った時、僕は製作家の生涯を出来るだけ調べます。
製作家が作製した楽器は年代により色々で、材料が良かったり、良いとはいえない材料が使われていたり、楽器の形が違ったり、ニスの色が違ったり.....。
製作家の製作環境は、楽器に強い影響を与えるため、製作家の生涯を知ると、「なぜこういう楽器がつくられたのか?」を知るヒントを得られると思っています。
もし修行期、独立期、黄金期、晩年期で分けたとすると、時期によって、下記のように作品に影響を与えるように思われます。
1. 修行期
製作家が弟子として師匠に教えを請い、ヴァイオリン製作の技術を身につける時期です。
師匠のラベルで製作していたり、師匠の工房で自分のラベルで製作したり。
工房で、師匠が弟子を雇っていると、師匠のラベルでも、弟子が手伝っていることは多いようです。弟子が一部分つくっていたり、全部つくっていたり。
イタリアの有名製作家のラベルが貼ってあっても、弟子か工房の誰かがつくったものとして、エキスパートの鑑定書がつけられているものも沢山あります。
製作家は、師匠のモデルから製作方法を受け継ぎます。
なので、製作された楽器は、形やモデルなど、師匠に似ているものが多い時期です。
2. 独立期
師匠から離れて、自分の工房を構えて、自分のラベルで、楽器製作をする時期です。
師匠の模倣から離れて、独自のスタイルを模索したりする時期です。
ただ駆け出しのため、経済的な問題で、材料の質がいいものをあまり使えなかったりすることもあるようです。
3. 黄金期
製作家として最も充実した時期で、“傑作”が生まれる時期です。
自分の得意なモデルを確立し、手先も冴えた時期なので、音響設計、細工、材料もハイレベルな楽器が製作されます。
楽器の値段も、最も高い価格がつきます。
4. 晩年期
高齢になってきて、手先が衰えてくる時期です。
楽器を製作するスピードが遅くなったり、弟子を雇って手伝ってもらって製作を進めます。
弟子に任せる部分があったり、手先が動かなくなってくると、細工の面で品質にバラツキがでたりする時期のようです。
人の生涯なので、一概に断定することはできないですが、学んだ環境、経済的な状況、年齢などは作品に影響を与える要素になると思います。
楽器が黄金期に製作されたものでなくても、野心に満ちた楽器、誰かに捧げた楽器、執念でつくった楽器など、素晴らしい楽器は沢山あるので、そういう楽器の背景は知りたいですよね。
僕自身は、製作家が楽器をどういう思いでつくったか、想像するのが好きです。
歳を取っても最高の楽器をつくりたかったのか....。
大事な人から依頼を受けたから、全力を尽くしたのか....。
心打たれる楽器に出会って、その楽器を模倣することで学び取りたいと思ったのか.....。
僕は、楽器に込められたエモーションをできるだけ知りたいです。
ヴァイオリンの音、外観にきっと現れているはずですから...。
<写真は、アシュモレアン博物館所蔵の1564年製のアンドレア・アマティ。裏板に天使の絵が描かれている。ヴァロワ朝第12代フランス王シャルル9世に捧げられた。>