HYTSヴァイオリンな日々

ヴァイオリンの魅力と謎について日々思うことを書きたいと思います。

ヴァイオリンはどこへ?

 

ヴァイオリンは、誰に買われ、どこへ行くのでしょうか?

 

ヴァイオリンの行き先は、経済情勢が、影響すると考えています。

 

17世紀~18世紀半ば、イタリアのクレモナを中心にヴァイオリンが制作されていた頃、ヴェネツィアフィレンツェの経済の栄光の時代は既に過ぎ去っていました。この頃、新たな航海ルートを発見した、オランダ・スペイン・ポルトガルが経済力をつけていました。



ニコロ・アマティ、ストラディバリの顧客には、ヨーロッパの貴族や王族も多くいたようです。


 

しかし、まだこの頃は、ヴァイオリンの価値は、多くの人には知られていませんでした。コレクターもいましたが、まだまだ限られていたと思われます。

 

 

ストラディバリの死後の1760年あたりから、Giovanni Battista Viotti(ヴィオッティ 1755年~1824年)などストラディバリウスを持つヴァイオリニストがパリに出かけるようになりました。

 


パリの人たちは、ヴィオッティの弾くストラディバリウスの音に魅了され、ヴァイオリンの力を認識するようになります。


 

ヴィオッティは、フランスで、Pierre Rode(ピエール・ロード 1744年~1830年)やPierre Baillot(ピエール・バイヨ 1771年~1842年)といった素晴らしい弟子も育て、その弟子達もストラディバリウスで演奏しました。


 

19世紀になると、フランスには、Jean-Baptiste Vuillaume (ジョン・バティスタ・ヴィヨーム1798年-1875年)という楽器製作家が、ディーラーとして成功をおさめます。フランスの大楽器商となったヴィヨームの元に、クレモナの名器が沢山集まってきました。


 

同じく19世紀、産業革命で経済力をつけてきたイギリスは、その経済力と交渉力で世界中から美術品を収集しました。19世紀の終わり頃になると、ヒル商会(W.E.Hill&Sons)が1880年に設立、ベア商会(John&Arthur Beare)が1897年に設立され、イギリスの大楽器商及び鑑定家として、クレモナの名器が集まってきました。


 

大楽器商の登場で、ストラディバリウスをはじめとするクレモナの名器が鑑定され、活発に取引されるようになってきたんですね。

 


その後、イギリスの楽器商、オークションハウスを中心にクレモナの名器は取引されてきました。

 

時を経て、


20世紀後半、日本が高度経済成長を経て、購買力をつけてきました。イギリスのオークションハウスにも日本のディーラーが登場し、度々クレモナの名器を最高額で落札していったそうです。ヴァイオリン・コレクターとして有名なのは、日本音楽財団ですね。日本音楽財団は、現在ストラディヴァリとグァルネリによって製作された弦楽器を21挺を保有しています。

 


1980年代以降、日本には沢山クレモナの名器が集まってきたとされています。日本にストラディバリウスは何挺あるんでしょうね....。


 

現在、一体どこにヴァイオリンは向かっているのでしょうか?

 


2000年以降、中国がGDP世界第2位になり、中国、台湾が購買力をつけてきました。オールドヴァイオリンのみならず、モダン・イタリーの名器もアジアに沢山集まっているようです。有名なコレクターは、台湾の奇美博物館でしょうか。オークションの履歴をみていると、度々バイヤーとして登場します。奇美博物館では、沢山の名器の展示がみれるそうです。

 


日本人が買えない価格でも、中国、台湾のバイヤーは買っていくという話を楽器店で聞いたことがあります。

 


アジアマネーがヴァイオリンに投入されて、ヴァイオリン価格はこの40年で高騰しています。最たる例が、2011年ストラディバリウスの1721年製レディ・ブラントが、1418万ドル(12憶円)で落札されたことでしょうか。

 


しかし、レディ・ブラントは2018年現在7年前の話です。現在では相対取引で、もっと高く取引されているかもしれません...。


<写真は、1721年製ストラディヴァリウス レディ・ブラント>


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名器たちは今後どこへ行くのでしょうか....。